至高なる大祭司であり王であるキリスト宣教会

女子修道会

イエズスの王たる御心礼拝女子修道会

 

王たるキリスト宣教会の仕事を支援するために、至高なる大祭司イエズス・キリストの王たる御心への贖いと礼拝に献身する女子観想修道会が神の御摂理によって創られました。教皇禁域を持たずに観想生活を送りながら、修道女たちはとりわけ宣教会の司祭と、当宣教会に委ねられた魂のために日々の祈りと犠牲を奉げています。

 

2004年6月、エッニオ・アントネリ枢機卿(当時のフィレンツェ大司教)は最初の三人の修道女に修道服をお与えになりました。2007年の春には、フランスとアメリカ合衆国から9人の修道女と4人の志願者を既に数えるに至りました。

 

霊性

 

宣教会の司祭や献身者のように、女子修道会にはその霊性の模範となる3人の守護聖人がいます。すなわち、聖フランシス・ド・サール、聖ベネディクト及び聖トマス・アキィナスです。愛において成長を絶えず求めること、そしてそれは常に真理に基づくべきであるということを、目指すべき道として、聖フランシス・ド・サールの慈愛に関する教えから、修道女たちは引き出しています。

 

修道女会のベネディクト的側面は日ごろの生活において教会の典礼を中心に置いていることから分かります。伝統的なローマ典礼のミサ聖祭と聖務日課が日々の生活のリズムを形作っています。聖トマス・アキィナスにおいて、修道女たちは自分たちの形成のため、カトリック信仰の神秘をどこまでも深く理解するために必要な思考の明晰さと枠組みを見出しています。最後に修道女たちが、その生活と全存在において、神の御子の王たる御心に従おうとする時、それは第一の守護者、無原罪の聖母マリアを通じて行います。ですから、修道女会のモットーは「王たる御心のうちに(In Corde Regis)」となっています。

 

修道女たちの一日は祈りが中心となっています。すなわち、ミサ聖祭、伝統的なラテン典礼による聖務日課、一時間の念祷、毎夕1時間の聖体礼拝、ロザリオなどです。手仕事や知的養成もまた、祈りで満ちた一日を織り成す大切な日課です。それにはグレゴリオ聖歌、ラテン語、霊性、哲学、神学の学習裁縫、レース作りといった手芸の稽古、祭服や祭壇布の手入れといったものが含まれています。

 

輝かしい将来

 

修道会が大きくなるにつれ、組織の土台が王たるキリスト宣教会の使徒職に沿って形成されるようになり、修道女たちは宣教会の司祭の使徒職への援助ができるようになるということが見えてきました。また修道女たちは合衆国に修道院を将来もつことも見えてきました。現在、アメリカ合衆国からの入会の問い合わせ数は増加しています。

 

修道女会は将来の修道院として使える建物を譲り受けました。現在、大規模修繕の必要がありますが、この重要な仕事を実現するために寛大な寄付者が現れることを修道女たちは祈りながら確信しています。

 

召しだし

 

修道女会への入会の問い合わせはシカゴにあります当宣教会本部までお願いいたします。

 

修道女からの手紙

 

修道女の手紙から、自身の言葉で修道生活について語っていただきましょう。

 

大祭司たるイエズスの王たる御心礼拝会は、慈愛の教会博士である聖フランシス・ド・サールの子供です。私たちの召命は、人目には、隠された徳の実践によって、大祭司の貫かれた御心から流れ出る永遠で憐れみ深い慈愛に応えるために、霊において真理において神を愛し礼拝すること。私たちは聖サールの教えの中で、このことを学びたいのです。私たちの会のモットー「王たる御心のうちに(In Corde Regis)」が指し示すように、私たちが奉献されているのはこの御心に対してなのです。それは私たちが神に栄光を帰し、とりわけ宣教会の司祭と司祭に委ねられた魂のために執り成しを行うようになるためです。

 

私たちの霊性は、王たるキリスト宣教会の精神に従って、サール的であり、同時にベネディクト的であります。霊性の核を神への崇拝に置きますが、神への至高の礼拝はふさわしいことです。カトリック教会、従って宣教会も生活の中心にあるものは、私たちの聖なる守護者、聖ベネディクトが教えてくれる通り、聖なる典礼への深い愛です。聖なる典礼を通じて、「神性への開かれた窓」(聖フランシス・ド・サール)である、イエズスの至聖なる御心へ私たちは導かれます。私たちの霊性の第一の源として、共同体の日々の生活のリズムを形作るものは、聖なる典礼なのです。

 

シエチ地方の谷全てを見渡せるグリチリアーノの丘の上にある、良き御助けの聖母に奉献された建物で、私たちはここ近年、本質的に教皇禁域をもたない観想生活を送っています。毎朝のミサと毎夕の聖体礼拝のため、神学校の司祭が私たちの礼拝堂に来られます。一日の中で聖務日課の祈りと朗読によって、私たちは常に神の御前で礼拝することができます。

 

私たちの三人目の守護者、聖トマス・アキィナスの教えによって形成された土台の上に立ちながら、私たちは学習と知的養成のための時間をいただいています。カトリック教会の中で暮らす礼拝の生活、つまり、祈り、学び、手仕事の生活を通じて、宣教会の司祭達に寄り添う使徒的生活様式、神の意志により適切な時期に明かされるだろう特性を自ら取る用意が私たちにはあります。

 

宣教会全体と同様に、無原罪の御宿りの聖母が私たちの第一の守護者です。聖母の御心によって、私たちが自分自身を従いたいと願う御子の王たる御心に至る光り輝く道へと私たちは導かれています。